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国会議事堂の構造は鉄骨造ではない|鉄骨鉄筋コンクリート造だ!建築史と特徴など

日本近代建築の頂点としての国会議事堂:構造、素材、そして半世紀の歴史的軌跡

構造技術の革命:鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)が選ばれた真理

日本の政治の舞台である国会議事堂(旧称:帝国議会議事堂)を語る際、長年、専門家や愛好家の間で一つの大きな誤解が流通してきた。それは本建築の主要構造が「鉄骨造(S造)」であるという言説である。20年ほど前に発行された一部の建築専門誌において、この大規模な鋼材使用量に注目するあまり「鉄骨造」と誤記されたことが発端と推測されるが、実際の構造は鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)である。この事実は単なる用語の訂正に留まらない。当時の日本が直面していた防災上の課題と、それに対する技術的到達点を示す極めて重要な指標なのである。

鉄骨造(S造)は、H形鋼などの鋼材のみを主要な骨組みとして用いる構造であり、軽量かつ高い強度を誇るものの、熱に弱いという耐火上の欠点を持つ。これに対し、国会議事堂で採用されたSRC造は、鉄骨の周囲に鉄筋を配し、さらにコンクリートで包み込む形式である。この構造は、鉄骨の引張強度とコンクリートの圧縮強度、さらにはコンクリートが持つ優れた耐火性能と剛性を統合したものである。当時の日本建築界が、相次ぐ火災や関東大震災という未曾有の災厄を経験する中で、国家の最高機関をいかにして守るかという問いに対する最終的な回答が、この堅牢なSRC造であった。

国会議事堂の総重量は約10万9,000トンに達し、その骨組みとして使用された鋼材は約9,810トンに及ぶ。この膨大な質量を支え、永続的な安定性を持たせるためには、単純な鉄骨造では不十分であった。特に中央塔のような、当時日本最高峰となる高さ65メートルに達する構造物においては、風圧や地震力に対する圧倒的な剛性が求められた。SRC造の採用により、本建築は竣工から90年近くが経過した現在においても、構造的な劣化や歪みを最小限に抑え、現役の議事堂として機能し続けているのである。

構造形式別の特性と比較解析

項目 鉄骨造 (S造) 鉄骨鉄筋コンクリート造 (SRC造) 備考
主要部材 鋼材(H形鋼、鋼管など) 鉄骨 + 鉄筋 + コンクリート 国会議事堂は後者を採用
耐震性能 しなやかに変形し衝撃を吸収 高い剛性により揺れを抑制 議事堂はSRCによる剛性を重視
耐火性能 防火被覆が必要 コンクリート自体が耐火被覆

火災の教訓が色濃く反映 

耐久性 防錆対策が重要 アルカリ性コンクリートが鉄を保護 100年単位の寿命を想定
総重量 比較的軽量 極めて重厚 議事堂の威厳を支える質量

  

このSRC造の採用は、建築技師たちの「不燃・震災に強い国都」への執念の結実であった。明治・大正期に繰り返された仮議事堂の焼失は、建築を単なる意匠の問題から、生存をかけた技術の問題へと昇華させた。国会議事堂は、日本の気候風土、特に湿潤な空気による腐食や頻発する地震、そして木造建築の宿命であった火災という三重苦に対する、近代建築の勝利宣言でもあったといえる。

半世紀の苦闘:1881年から1936年へのクロニクル

国会議事堂が1936年(昭和11年)に竣工するまでの歩みは、日本の近代国家形成の苦闘と重なる。1881年(明治14年)に国会開設の勅諭が出されてから、実に55年の歳月を要した。この半世紀以上の空白期間は、単なる建設の遅れではなく、幾度もの挫折と、その都度繰り返された再生の歴史であった。

明治・大正期の試練:三度の仮議事堂と災厄

当初、帝国議会の開設に合わせて建設された「第一次仮議事堂」は、木造二階建ての洋風建築として1890年(明治23年)に完成した。しかし、皮肉にも竣工からわずか数ヶ月後の1891年1月、漏電による火災で全焼してしまう。この事件は、国の中枢を担う建築が「木造」であることの危うさを痛烈に知らしめることとなった。

直後に再建された「第二次仮議事堂」もまた、1925年(大正14年)に火災によって失われた。この間、現在の本議事堂の建設に向けた準備は進められていたものの、計画は遅々として進まなかった。特筆すべきは、1923年(大正12年)の関東大震災である。着工から3年が経過していた本議事堂の本体構造は、この巨大地震による致命的な損害を免れたが、設計図や模型が焼失するという甚大な被害を受けた。この震災は、耐震設計の重要性を再認識させる契機となり、設計修正の必要性からさらなる遅延を招くこととなった。

年代 主要な出来事 内容と影響
1881年 国会開設の勅諭 議事堂建設構想の起点
1890年 第一次仮議事堂竣工 わずか数ヶ月で火災により焼失
1918年 建築設計競技の実施

渡辺福三案が1等選出 

1920年 本議事堂着工 正式な工事の開始
1923年 関東大震災発生 設計図焼失、建設の停滞と耐震性の再考
1925年 第二次仮議事堂焼失 第三次仮議事堂(突貫工事80日)の建設
1936年 本議事堂竣工 55年の歳月を経て完成

  

1925年の火災後、本議事堂の完成を待つために急造された「第三次仮議事堂」は、わずか80日余りの突貫工事で建設されたという驚異的な記録を持つ。このように、本議事堂の歴史は「火災による破壊」と「緊急の再生」の繰り返しの中にあった。こうした過酷な背景があったからこそ、本議事堂は、あらゆる災厄に抗い、国家の永続性を保証する「白亜の殿堂」として構想されたのである。

設計思想の変遷:渡辺福三案と官僚建築家たちの葛藤

現在の国会議事堂のデザインは、1918年(大正7年)に行われた公開設計競技(コンペ)がその源流となっている。118通の応募の中から、宮内省内匠寮に所属していた渡辺福三(実際には有志による共同制作)の案が1等に選ばれた 。しかし、この当選案がそのまま建築されたわけではない。   

当選案はあくまで「参考」とされ、実際の設計は大蔵省の臨時議院建築局が主導することとなった。ここで中心的な役割を果たしたのが、大蔵省技師の矢橋賢吉である。矢橋は、日本の近代建築の父と呼ばれる辰野金吾らからの「公募によるべき」という強い主張を汲み取りつつも、実際の建設実務においては官僚建築家としての手腕を発揮し、当選案を大幅にリファインしていった    

この過程で最も象徴的な変更が加えられたのが、中央塔のデザインである。当初の案はより古典的なドーム状の屋根を持つものであったが、修正の結果、現在のジグラット(ピラミッド状)形式の階段状の塔へと変貌を遂げた。この意匠変更は、当時の世界的な潮流であったアール・デコの影響を反映しつつ、東洋的な重厚さと近代的な合理性を融合させる試みであった。矢橋賢吉は1927年、上棟式の直後に急逝するが、その意志は大熊喜邦や吉武東里といった後継者たちに引き継がれ、1936年の完成へと結実したのである    

「石の博物館」としての多重性:国産資材への執念

国会議事堂を建築的にユニークな存在たらしめている最大の要因は、「純国産資材」の使用に徹底してこだわった点にある。これは、当時の日本が欧米列強に比肩する近代国家であることを物理的に証明しようとする、高度に政治的な宣言であった。建物全体が日本各地から集められた希少な石材で覆われていることから、建築愛好家の間では「石の博物館」とも称される。

外装を支える花崗岩の重厚

外壁の大部分を占めるのは、日本全国から選定された花崗岩(御影石)である。特に山口県徳山産の「徳山石」や広島県の「黒髪島石」、茨城県の「稲田石」が主要な役割を果たしている。これらの石材は、その硬度ゆえに加工が極めて困難であるが、ひとたび磨き上げられれば白く気品ある光沢を放ち、日本の政治的中枢にふさわしい威厳を付与している。

産地 石材名 特徴と使用箇所
山口県(徳山) 徳山石(花崗岩) 外壁の主要部。白味の強い堅牢な石
茨城県(稲田) 稲田石(花崗岩) 外装および玄関周辺。非常に白い質感
岐阜県(金生山) 金生山大理石 内装、階段、柱。多種多様な色調
沖縄県(勝連・今帰仁) 珊瑚石灰岩

中央広間の壁面。化石を含む独特の質感 

  

内装を彩る大理石と沖縄の記憶

内部に足を踏み入れると、そこには外装のモノトーンとは対照的な、色彩豊かな大理石の世界が広がる。特に岐阜県大垣市の赤坂町(金生山)から産出された大理石は、内装の柱や壁面にふんだんに使用されており、その模様の美しさは現在では再現困難なレベルに達している。

特筆すべきは、中央広間の壁面に使用されている沖縄県産の「珊瑚石灰岩(トラバーチン)」である 。この石材は、サンゴや貝の死骸が堆積して形成されたものであり、当時の調査においてその希少性と美しさが認められ、遠路、沖縄から運ばれた 。この石材には、アンモナイトや巻き貝の化石が随所に露出しており、見学者にとっての大きな驚きとなっている    

象徴としての内部空間:中央広間と三人の銅像

国会議事堂の中央、ピラミッド状の塔の真下に位置するのが「中央広間」である。この空間は、本建築の中で最も神聖視されており、その構造と装飾には多重的な意味が込められている。

高さと光の演出

中央広間は2階から6階までが吹き抜けとなっており、天井までの高さは32.62メートルに達する 。この高さは、法隆寺の五重塔がすっぽりと収まるほどであり、訪れる者に圧倒的な空間的解放感を与える。天井には、当時としては異例のイギリス製ステンドグラスがはめ込まれており、そこから差し込む光が、床に敷き詰められた約100万個のモザイクタイルを照らし出す    

この床のモザイクには10数種類の大理石が使用されており、その緻密な施工は、当時の職人たちの技術の極致を示している 。また、広間の四隅の壁面には、日本の春夏秋冬を象徴的に描いた4枚の油絵が飾られており、建物の重厚な石の質感に対し、色彩豊かな四季の彩りを添えている    

三人の偉人と「未完の台座」

中央広間の四隅には、日本の議会政治の礎を築いた三人の政治家の銅像が設置されている。板垣退助、大隈重信、伊藤博文の三名である 。これらは1938年(昭和13年)、大日本帝国憲法発布50周年を記念して制作された。   

しかし、注目すべきは「四つ目の台座」の存在である。ここには像が立っておらず、台座だけが空のまま残されている 。これについては、建設当時「4人目の候補を絞りきれなかった」という現実的な理由のほか、「政治に完成はない」「将来、これら三人に匹敵する偉大な政治家が現れるまで待つ」といった、日本の民主主義に対する謙虚さと期待を込めた「未完の象徴」として語り継がれている    

隠された歴史:中央塔の「ダンスホール」と占領の影

国会議事堂が歩んできた歴史の中で、最も奇妙かつ象徴的なエピソードが、戦後の連合国軍(GHQ)による占領期の利用形態である。

中央塔は9階建ての構造になっており、通常の見学コースでは立ち入ることのできない上層階が存在する。ステンドグラスのすぐ上の階にある部屋は、戦後の混乱期、占領軍の将校たちの社交場、すなわち「ダンスホール」として利用されていた時期がある    

下から見上げる参観者たちは、ステンドグラスから降り注ぐ光に民主主義の神聖さを感じるが、そのすぐ裏側で、かつてはジャズが流れ、異国の軍靴がステップを刻んでいたという事実は、日本の主権が一時的に失われていた歴史の皮肉を物語っている。ステンドグラスは、本来、外からの光を透過させるためのものであるが、この塔の構造においては、上の部屋(ダンスホール)からの人工的な光や、建物の内部構造に工夫を凝らすことで、まるで天からの光が直接降り注いでいるかのような視覚的効果を生み出しているのである    

国産の限界と「三つの外国製」

徹底した国産化を目指した国会議事堂建設であったが、当時の日本の技術力では量産や品質の確保が困難であった三つの設備に限り、例外的に外国製品が導入された。

  1. ステンドグラス: イギリス製。中央広間や議場の天井を飾り、現在もその色彩美を保っている。

  2. ドアノブ(錠前): アメリカ製。高度な精密機構が要求されたためである    

  3. 郵便投函筒(メールシュート): アメリカ製。建物内の各階から地下の集配所へ郵便物を重力で落とすシステムで、当時の最先端の事務効率化装置であった    

これらの外国製品は、当時の日本が目指した近代化の目標と、その時点で超えられなかった技術的ギャップを物理的に示している。しかし、それらが90年後の今もなお機能し、あるいは美しさを保っている事実は、当時の選定眼の確かさを証明しているともいえる。

機能する歴史:本会議場とレッドカーペットの物語

国会議事堂の内部において、最も機能的な重要性を持つのが「衆議院本会議場」および「参議院本会議場」である。これらは二院制の象徴として左右対称に配置されているが、細部においては異なる個性が与えられている。

参議院の格調と「御席」

参議院本会議場は、かつての貴族院の名残を強く留めており、議長席の後方には天皇陛下が着席される「御席(ごせき)」が設けられている 。開会式などの重要な行事の際、この場所の幕が開かれ、陛下がお出ましになる。これに対し衆議院にはこの特別な席は存在せず、貴族院から参議院への移行という日本の憲法史が、空間構成そのものに刻まれている。   

「士農工商」の意匠

本会議場の傍聴席前面などに施された彫刻には、ユニークな秘密が隠されている。そこには「刀」「稲穂」「槌」「金貨」をモチーフとした模様が組み込まれており、これは江戸時代の「士農工商」という身分制度を象徴しているとされる    

なぜ民主主義の殿堂に階級社会の象徴があるのか。それは、建設当時の設計者たちが「かつて分断されていた四民が、今は等しく政治に参加し、協力して国を支える」という平等と協調の理想を表現したためであるといわれている 。建築の細部に、こうした社会改革のメッセージが込められている点は、本建築の精神的深みを示している。   

維持される品格:4キロの赤い絨毯

議事堂内を歩く際、誰もが目を奪われるのが、隅々まで敷き詰められた深紅の絨毯である。その総延長は約4キロメートルに及ぶ 。この絨毯は、単なる装飾ではなく、静寂を保ち、建物の格調を維持するための重要な装備である。   

非常に高価なものであるため、一度にすべてを新調することはせず、傷みの激しい箇所を部分的に張り替えながら管理されている。最も状態の良い新品の絨毯は、天皇陛下がお立ち寄りになる「御休所」周辺などの最重要エリアに優先的に敷かれるという、運用上の「優先順位」も厳格に定められている 。こうした日常のメンテナンスの積み重ねが、国会議事堂の「生きている建築」としての生命力を支えている。   

地下空間と都市伝説:現実と幻想の境界

巨大な公共建築には、常に「地下通路」や「秘密の施設」にまつわる都市伝説がつきまとう。国会議事堂もその例外ではない。

実態としては、国会議事堂と周囲の衆・参両院の議員会館、そして総理大臣官邸などは、業務用の地下通路で結ばれている 。これは、悪天候時の移動や、セキュリティ確保の観点から合理的な設計である。また、議事堂の敷地直下には東京メトロ「国会議事堂前駅」が存在するが、駅から直接議事堂の内部に繋がる「秘密の入り口」があるという事実は確認されていない    

しかし、戦前の厳しい社会情勢の中で建設されたこの建物が、有事の際の防護や避難を考慮して、堅牢な地下室を備えていることは事実であり、それが「核シェルター説」などの過度な推測を生む土壌となっている。国会議事堂の地下は、現実の利便性と、国家機密というベールに包まれた幻想が交差する、もう一つの空間となっている。

現代における建築的意義と持続可能性

竣工から90年近くが経過した現在、国会議事堂は歴史的建造物としての価値を保存しつつ、現代の議会運営に必要な最新設備(ITインフラ、耐震補強など)を統合し続けている。1936年の竣工式で当時の人々が仰ぎ見た「白亜の殿堂」は、今や日本の民主主義の歩みそのものを体現するモニュメントとなった。

SRC造という強固な構造を選択し、日本全国の豊かな石材を配置し、さらに未来の政治への期待を「空の台座」に託した先人たちの意志は、今もこの建物の細部に宿っている。

建築統計 詳細データ
構造 鉄骨鉄筋コンクリート造 (SRC造)
延床面積 約53,464平方メートル
敷地面積 約103,000平方メートル
総工費 約2,570万円(当時)
主要構造材(鋼材) 約9,810トン
総重量 約109,000トン
最高部高さ 65.45メートル

結語:日本建築史の到達点として

国会議事堂は、単なる政治の場ではない。それは、明治の開国から昭和の激動期に至るまで、日本がいかにして近代建築の技術を吸収し、それを自国の風土や素材と融合させてきたかを示す、壮大な実験と成功の記録である。

鉄骨造ではない、鉄骨鉄筋コンクリート造という選択。火災や震災への絶え間ない恐怖を乗り越えた、その堅牢な骨組み。沖縄から北海道まで、国土のあらゆる場所から集められた石たちの記憶。これらが一体となり、この建物に魂を吹き込んでいる。

見学者が中央広間のアンモナイトの化石に触れ、レッドカーペットの踏み心地を確かめる時、彼らは日本の歴史の厚みと、それを支える建築技術の確かさを直接体験している。国会議事堂は、完成された過去の遺物ではなく、今この瞬間も日本の未来を形作る議論を包み込み、守り続ける、動的な歴史装置なのである。その存在感は、竣工から一世紀を迎えようとする今、ますますその輝きを増している。

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【衆議院委員部】国会議事堂のデザインの謎に迫る!【第2回】 – YouTube

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国会議事堂 – Wikipedia

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国会議事堂にも沖縄の石灰岩、トラバーチンが使われています

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国会議事堂案内 中央広間:参議院

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国会議事堂見学記(編集部) | Web日本評論 – Part 2

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国会議事堂に… ついた~!

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国会議事堂 – 周辺散策ガイド – 衆議院議員 浅野さとし

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東京で見逃せない美しいステンドグラススポット7選 – Lemon8-app

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国会議事堂 – Wikipedia

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日本政治の舞台へ突入!国会議事堂の無料見学ツアー | 夜景FANマガジン

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【永田町】国会議事堂見学 | チームJマダム AI-girlのブログ – Web eclat

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【国会クイズ】第16問 国会議事堂駅の謎|Senator