かつて大工として現場に出ていた頃、年配の職人さんから、こんな話を聞いたことがあります。
「1月15日は、地獄の釜(窯)の蓋も開く日だから、仕事はしない」
現代の感覚では驚かれるかもしれません。しかし日本の職人世界には、合理性だけでは測れない「しきたり」や「縁起」が、確かに息づいてきました。
本記事では、**「地獄の釜の蓋が開く日(釜蓋朔日/かまぶたづいたち)」**という言い伝えを、職人文化と旧暦の時間感覚の両面から整理してみたいと思います。
伝統的に、1月16日と7月16日は
と呼ばれ、地獄の王・閻魔大王の縁日とされてきました。この日は、亡者たちが責め苦から解放される「地獄の休日」と考えられています。
その前日である15日は、
とされ、次のような理由から「仕事を休む日」となりました。
釜の蓋が開く音と、金槌や鉋の音が重なると不吉である。
亡者の休息を妨げてはならない、という戒めです。
この日に無理をして働くと、
「地獄に引きずり込まれる」=大怪我をする
という言い伝えがありました。
奉公人や職人が実家へ帰ることを許された、数少ない休息日。
厳しい職人社会における、人情的な制度でもありました。
現在では、大規模な現場やハウスメーカーでは暦通りに稼働するのが一般的です。
それでも、地域に根付いた工務店やベテランの職人さんの中には、
といった形で、この風習を今も大切にしている人がいます。
刃物や高所作業など、常に危険と隣り合わせの仕事だからこそ、
一年の安全を祈る節目として、縁起を担いできたのでしょう。
民俗学者・柳田國男は、日本の年中行事には、
という二つの大きな節目があり、もともとは同一の「魂祭り(たままつり)」であったと述べています。
この時期には、
と考えられてきました。
釜蓋朔日とは、まさにその境目が開く日だったのです。
この言い伝えは、**旧暦(太陰太陽暦)**の時間感覚を知ると、より納得しやすくなります。
旧暦では、1日が新月、15日が満月です。
はいずれも、神仏や祖霊が最も近くにいると考えられた「魂祭り」の中心日でした。
満月を過ぎ、月が欠け始める16日は、
と意識されました。
極楽への扉が開くのと同時に、
地獄の釜の蓋もまた開く──
良い霊も悪い霊も一斉に動く時期と考えられたため、この日が特別視されたのです。
本来「朔日」は月の一日を指しますが、
など、呼び方には地域差があります。
大工さんの世界で1月15日が重んじられたのは、小正月という大きな節目に、仕事の手を止めて「見えないもの」に敬意を払う、旧暦的な時間感覚が残っていたからでしょう。
ある土地では、
1月15日に地面に耳を当てると、地の底から釜の蓋が開く音が聞こえる
という言い伝えがあります。
それは同時に、ご先祖様がこちらの世界へ戻ってくる気配でもありました。
大工や職人が手を止めたのは、
だったのかもしれません。
「今日は地獄の鬼だって休むのだ。人間が休まない法はない」
親方がそう言って弟子を休ませた、という話も各地に残っています。
不気味な言い伝えの裏側には、
が、静かに息づいていたのでしょう。
現代の街では、釜の蓋が鳴る音を聞くことはもうありません。
それでも、
は、今の仕事や暮らしにも通じるものがあるように思います。
1月15日。
もし少し余裕があれば、道具を手入れし、仕事の手を休め、
静かな一日を過ごしてみるのも、悪くないのかもしれません。